実話・圏央道3
実話・圏央道3
【 H 17/9〜H 19/3 】・・・超詳細版・・・
実話・圏央道2から続いています。
我々田舎の山猿は、金も権力も無く、苦しい戦いを平成4年から現在迄(まだ、進行中)、19年以上して来ているのです。いったい、いつまで続くのか?
第三章 2度目の紛争 ・法廷編
- 我々は圏央道を絶対必要?と考えています。反対派ではありません。
争いは法廷で!
平成17年9月に、調停に持ち込んだことで、話が大きく変わったのです。
千葉国に対しての調停が、国に対しての訴えとなり、国に対して訴えを出すと、法務省(本件にまったく関係ない)が出てきて、間接的になってしまい、直接当事者同士の調停に、ならなくなってしまうことが、我々には解らなかったのです。
失敗でした。
当事者が陰に隠れての調停?
調停員と裁判官が『 話し合いになりません。千葉国の藤田副所長を含めた当事者は、こちら側の言い分を認めていても、法務省のメンバーが、本件を認めようとせず相手側の話が一本化しません。これでは、調停で解決には、なりません。 』と言うのです。
なんとも、すごいシステムになっていたのです。
我々は、裁判官と調停員の言うように、調停での解決が無理と分かっているのに、このまま調停を続けても、時間と金の無駄と判断して、和解をあきらめ、不調にして本当の意味での戦いに突入したのです。
調停が始まって一回目には、来ていた藤田副所長が二回目以降に来ていなかったのです。自分たちの非を認めた藤田副所長がオミットされて、法務省に従う者だけが来ていました。
これでは何のための調停なのか?裁判官と調停員は「 裁判にしたらどうですか、証拠は充分揃っているし、法務省が中心で藤田副所長本人を連れてこなくても、藤田副所長を証人として出頭させれば裁判は充分有利に出来ます。 」と、いったのです。意味が無いので都合4回の調停で取り下げて不調になったのです。
敗北ではなく、裁判費用・弁護士費用の関係で仕方なく今回は諦めました。お金の無い戦いの辛さを味わったのです。お金を作る手段があれば裁判を続けられたのですが残念です。どこかで再び機会があればその時には・・・。
千葉国音信不通も業者が隠れて作業!
その後、平成17年12月〜平成18年7月迄、半年以上千葉国と音信不通になりました。
そしてその間に、大和田地区の地権者が、今話題になっている、弘済会のメンバーにいろいろと、脅かされて「 今月中に契約しないと、土地の値段を下げると言って年寄りを脅したのです。 」恐くなった年寄りが、どんどん用地契約をさせられて行ったのです。
また、調査会社( 野鳥の調査 )が、自分らの身分を偽って( 千葉国の依頼ではなく、個人的に野鳥の研究と調査をしている事として )我々の地元で、お忍びでコソコソと、作業をしていたのです。
それ( 隠れて作業をする調査会社 )を、見つけた我々は、どこの誰だかを、確認して問い詰めるという事件、並びに個人の土地への、不法侵入の事件などが起き、警察まで呼んで揉めたことがあります。
その都度、その調査会社の依頼者が千葉国と判ると、千葉国に対して苦情を言う、そんなお互いが、けん制しあう日々が続きました。
悪さをすると罰が当たる?
後で解ったことですが、藤田副所長が、体をこわして一年間も入院していたのです。以前も我々をいじめた湾岸調査事務所の遠山副所長も体をこわして入院、今回我々に嘘を付いていじめた、千葉国の藤田副所長も入院したのです。
何か因縁を感じます。世の中悪さをしたり、人をいじめたりすると、よく言われる言葉に『 バチがあたる! 』といいますが、それで当ったのでないと思いますが、これで入院した人が二人目です。
知らない間にトンデモナイ人事異動!
千葉国からの誠意を持っての話がないままの半年でした。(平成17年12月〜平成18年7月)
音信不通の間に千葉国の所長が、平成18年6月末で、嘘を付いた有田所長から、大庭所長に代わっていたのです。
大庭所長は、行動に出てきたのです。
千葉国所長が地元無視の行動に出てきた!
平成18年7月16日地元の公民館で、いきなり一方的な説明会が行われました。過去のことを全部伏せて、勝手にSAをPAに変更したり、今後の予定も全て勝手に作り上げて来たのです。
それ以外の話も、すべて勝手に作り上げて来たのです。我々は「 立て看板 」を立てたりして、猛烈に反発しました。この席にも藤田副所長はいなかったのです。
参加者の中に、藤田副所長に代わって加藤事業推進室室長という輩が、始めて参加する一方、近藤調査課長、宮内用地課長とその他、千葉県からは、古橋氏・山本氏、市原市からは、市原室長他が参加しました。
2代に亘って、貧乏くじを引いたような千葉国の人事異動なのです。
それにしても1年しか居なかった千葉国有田所長は、我々に嘘をついていなくなったのです。
その後始末に来た、大庭所長は、大変な独裁的な方でした?この件の他にも、いろいろと仕掛けてきたのです。
このときには、気が付きませんでしたが、もう藤田副所長は完全に、「 ビール券の件・その他の件 」で、完全にオミットされていたのです。
その説明会の終わった後、また半年以上、千葉国と地元は音信不通になったのです。これで調停のあとの半年と合計すると、一年の間「 特に音沙汰なしの進展無し 」だったのです。
その間に、「 圏央道木更津〜茂原間21年供用 」と看板・新聞・テレビ・ラジオ等で、盛んにアピールしていました。
圏央道木更津開通セレモニー?
そして平成19年になっても連絡なし、それとは別に3月21日に、木更津で開通セレモニーをやる話が、我々の所に入ってきました。
我々は、その席に押しかけて行って、今までのうっ憤を晴らしてやる計画を立てたのです。
しかし、地元の役員の一人が、そのセレモニーの会場になる、小学校が母校になること、並びに参加者の中に、同級生が居る事などから、出来ればやめてほしいとの要請があり、押しかけて行って、千葉国のやっていることを、お祭り騒ぎの好きなメンバーに、暴露する件は、残念ながら中止になったのです。
『 圏央道の関係者だけが、うかれて税金でお祭り騒ぎ、道路工事や用地取得で税金を使った他に、お祭り騒ぎでも税金を使っているのです。それも関係者のみでやっているのです。 』
『 官僚は、いいですね、何をやるのも、自分のお金では無く税金で出来る、無尽蔵にあるのです。今、千葉県は税金(予算)がないので、開通式は自粛していると聞いています。さすがに天下の国家は違います。 』
地元役員が千葉国に出向き交渉も?
開通式に押しかける件を、だめと言った本人が、代替案として、千葉国に説得しに、行ってくれることとなったのです。
平成19年2月20日と23日、3月2日の3日間も通ってくれたのでした。『 揉め事をきちんと整理して、和解しましょう 』と申し入れたのです。
しかし、勝手者の千葉国加藤事業推進室室長という人が対応してきて、「 今までの約束を全て白紙にしてくれたら 」、話に乗るような事を言って来たそうです。
この話を聞いた我々は、完全に怒りました。自分らが嘘をついておいて、全てを無しにしたら、話をきいてやるなど、お門違いも甚だしい、くわせものである。『 話にならん! 』が、我々の結論です。
第四章 2度目の紛争 ・霞が関編 第一部
- 我々は圏央道を絶対必要?と考えています。反対派ではありません。
地元役員・霞が関へ押し掛ける!
そして我々が考えた対策案は、霞ヶ関の国交省には、千葉国の上司がいる、並びに大臣もいる、地元出身の衆議院議員もいることから、そちらに行って、直談判をすることになったのです。
一人位、我々の事を理解してくれる人がいるだろう?並びに千葉国の嘘を、正してくれるだろうと思っての行動だったのです。(それが、甘い考え方だと言う事も百も承知での行動です。駄目元なのです。)
平成19年3月8日に霞ヶ関の国交省に地元代表3名が、出かけて行ったのです。
まず我々は、霞ヶ関の国交省に行く前に、衆議院議員会館にいる、地元代表の国会議員の松野氏の所に寄り、国交省に対して中継ぎをお願いしました。
それと冬柴国土交通大臣にも取り次ぎをお願いしたのです。しかし、松野議員の秘書から出た言葉は、『 とんでもない!私どもは、新米議員で大臣のところなど、同じ派閥( 自・公は保守として連立 )でも、電話など出来ません。 』でした。
なんともだらしない地元の国会議員( 自分の立場より、地元地域の民が頼みに来た事を、どうして声を大にして言うことが出来ないのか。何の為の代表なのか。 )代表がこんなんでは、我々の地元が良くなるわけがありません。
毎日、同じ土俵で仕事をしているメンバー、同じ派閥( 自・公は保守として連立 )の代表( 大臣 )に、どうして電話の一本が掛けられないのか?
残念ながら全く役に立ちませんでした。
我々の本心は、本当にあてにしたわけではなく、国会議員の器の大きさと、どれくらい我々の為に、働いてくれるかを確認しただけなので、さほど落胆はしませんでした。ほとんど想定内の内容でした。
国交省には、取りあえず中継ぎをお願いできたので、松野議員の所を引き上げたのです。
そして、冬柴国土交通大臣のところには、中継ぎなしで直接伺って今までの事情が書いてある、抗議書面を秘書の方に渡したのです。
その後、国交省に急いで行く事としました。目指すは、防災課という所です。木村課長は、不在で、吉沢と金親という二人が対応しました。
我々から見ると、とても若い連中でした。我々より一回りも二回りも若いのです。常識は判断出来たとしても、自分の役職より上の関東地方整備局や千葉国の上司に、意見を言えるはずもありません。
その若い連中では、単なる窓口でしかなく、解決の糸口になる筈もなかったのです。もっと上の役職の人との会話が必要だったのです。
しかし会議を理由に、出てこないのです。しかたなく過去の経緯を話すと共に、今のままでは解決しない事、解決がないと我々の協力はない事等を強く伝えました。
喧嘩をしたままだと、地権者の協力も得られないことから、その場合の土地収用法適用などをどの様に考えているか?等、長時間に亘って話をしました。
国交省側の答えは、『 千葉国にきちんと伝えます。 』と、まるで他人事の話でした。
『 伝えるだけのことで、わざわざ東京まで来ない、きちんと整理して和解が出来るようにしろ!!! 』
と、言ったのですが、どこまで改善が出来るのか???
霞ヶ関にきて、本当に良かったという中味では無かったと思います。
むしろ我々国民の事を口に出して思いやっている素振りも、実際は自分らのやりたい様にやっているだけに見えました。
以前、関東地方整備局にいて、
『 副所長を出して、きちんと整理させます。副所長なら大丈夫です。 』と、言った沓掛氏にも会ってみようとしましたが、会議中とのことで、会えませんでした。偉い人は山猿には会ってくれません。会議と言えばいいのです。楽な言い訳です。
国会議員もあてにならない、霞が関の国交省本部も、あてにならない、まして国土交通大臣もあてにならない。
【 結論は、自分達でとことん戦っていくしかないことを悟ったのです。 】
残念ながら本日の霞ヶ関での戦いは敗北?です。・・・・・
新たな闘志を胸に仲間の待つ市原に戻ったのです。
霞ヶ関編の第一部は、ここで一旦終わりですが、第二部が再度あります。再び千葉での戦いに挑んでいくのです。
実話・圏央道3は、ここまで!
この続きは
実話・圏央道4 でご覧ください。
◆ 実話圏央道シリーズは、平成17年8月に、ブログでスタートしました。
◇ その後、いろいろな経過を経て、現在のHP になっています。
◇文章にすると、なんの変哲もない、何処にでもよくあることです。
- 国が悪さをして、庶民を犠牲にして、庶民を泣かす。
国の立場と威厳を保つ為に、犠牲はつきものと言いますが ?・・・ - しかしながら、我々の行動・活動も、全てそれに伴って、H4年からの19年間なのです。永い年月、
この事に巻き込まれての、事実の話しなのです。決して他人事・作り話しでは無いのです。
◆ 【 注意 】
◆ 特に、付け加えておきますが
- この【 実話・圏央道シリーズ 】は、事実に基づいた記録のぺージだと言う事を理解してご覧ください。
- 個人の名誉を中傷的な表現等で、傷つけたり責めたりしているものでは、絶対にありません。
- 世の中に、こんなに何度も何度も、騙されても騙されても、
相手を信じて生きている人がいるという事実。 - そんな田舎の山猿 ( 民、百姓 ) のことを、綴ったページだと解釈してください。
◇ 実話・圏央道3は、ここまでです。
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